安保実光 「一の谷の戦い」 安保氏の合戦(1)

安保実光 「一の谷の戦い」 吾妻鏡

武蔵七党の武士団、丹党の安保氏の祖である安保次郎実光の合戦記(1184年)。

壽永三年(元暦元年)二月五日甲子。

酉の刻(夕方6時頃)、源氏の両将は攝津国に入った。七日卯の刻(朝6時頃)を以て箭合せの期に定む。

大手の大将軍は蒲冠者範頼なり。
相従うの輩。

 小山小四郎朝政   武田兵衛尉有義     板垣三郎兼信
 下河邊庄司行平   長沼五郎宗政      千葉介常胤
 佐貫四郎成綱    畠山次郎重忠      稲毛三郎重成
 同四郎重朝     同五郎行重       梶原平三景時
 同源太景季     同平次景高       相馬次郎師常
 国分五郎胤道    東六郎胤頼       中條籐次家長
 海老名太郎     小野寺太郎通綱     曽我太郎祐信
 庄司三郎忠家    同五郎廣方       塩谷五郎惟廣
 庄太郎家長     秩父武者四郎行綱    安保次郎實光
 中村小三郎時経   河原太郎高直      同次郎忠家
 小代八郎行平    久下次郎重光  
已下五万六千余騎なり。
搦手の大将軍は源九郎義経なり。
相従うの輩、

 遠江守義定      大内右衛門尉惟義     山名三郎義範
 齋院次官親能     田代冠者信綱       大河戸太郎廣行
 土肥次郎實平     三浦十郎義連       糟屋籐太有季
 平山武者所季重    平佐古太郎為重      熊谷次郎直實
 同小次郎直家     小河小次郎祐義      山田太郎重澄
 原三郎清益      猪俣平六則綱    已上二万余騎なり。

平家は此の事を聞き、新三位中将資盛卿(重盛次男)・小松少将有盛朝臣(重盛四男)・備中守師盛(重盛五男)・平内兵衛尉清家・恵美次郎盛方已下七千余騎が三草山の西に着く、源平は三里程離れ、東西に布陣した。九郎主は信綱・實平の評定を加え、暁天を待たず、夜半に及び三品羽林を襲う。仍って平家は周章分散してしまった。

    三草山は一ノ谷の北50km、播磨国(兵庫県加東市上三草、姫路~篠山の国道372号沿いにある。三草山の戦いは、一の谷の戦い(2月7日)の前哨戦。
※ 源義朝の六男、源範頼軍に参戦した武将には丹党の安保実光、児玉党の
  庄太郎家長がいる。

 (参考資料 「新刊吾妻鏡」

        

児玉の四季

inserted by FC2 system