安保直実 「四条畷の戦い」 安保氏の合戦(4)

安保直実 「四条畷の戦い」 太平記
四条畷(しじょうなわて)の戦いは貞和四年(1348年)1月、河内国で、南朝方の楠木正行と足利尊氏の家臣、高師直との戦いで足利方(安保直実参戦)が勝利し、安保忠実(直実)は和田正朝を討取る。
(以下、太平記より) 

〇楠正行最期事 太平記巻二十六-貞和四年正月(1348年)
和田新兵衛正朝は、吉野殿に参て事の由を申さんとや思けん、只一人鎧一縮して、徒立に成て、太刀を右の脇に引側めて、敵の首一つ取て左の手に提て、東条の方へぞ落行ける。安保肥前守忠実只一騎馳合て、「和田・楠の人々皆自害せられて候に、見捨て落られ候こそ無情覚候へ。返され候へ。
見参に入らん。」と詞を懸ければ、和田新兵衛打笑て、「返に難き事か。」とて、四尺六寸の太刀の貝しのぎに、血の著たるを打振て走懸る。忠実一騎相の勝負叶はじとや思けん、馬を懸け開て引返す。忠実留れば正朝又落、落行ば忠実又追懸、追懸れば止り、一里許を過る迄、互不討不被討して日已に夕陽に及ばんとす。斯る処に青木次郎・長崎彦九郎二騎、箙に矢少し射残して馳来る。新兵衛を懸のけ、懸のけ射ける矢に、草摺の余引合の下、七筋まで射立られて、新兵衛遂に忠実に首をば取れにけり。総て今日一日の合戦に、和田・楠が兄弟四人、一族二十三人、相順ふ兵百四十三人、命を君臣二代の義に留めて、名を古今無双の功に残せり。(以下、略)

※安保肥前守直実(ただざね)は「太平記」巻二十九の、将軍上洛事付阿保秋山河原軍事で、観応二年(1351年)正月、秋山新蔵人光政と安保肥前守忠実の一騎打ちでも良く知られている。「バサラ絵」は庄内町の絵馬にもある。直実は安保光泰の二男。
(参考資料 太平記-国立国会図書館より)

      

児玉の四季

inserted by FC2 system