丹党・安保氏館跡 武蔵安保郷の中世の歴史

丹党、安保氏の本幹地は武蔵賀美郡安保郷(現埼玉県神川町元阿保周辺)です。一の谷の戦いで戦功があった安保実光が氏祖で上宿に惣領家を構えた。鎌倉幕府の有力な御家人で、館跡も鎌倉街道上道沿いにある。安保氏も中世の12世紀〜16世紀まで続くが永禄12年(1569)、武田信玄の金鑚御嶽城の乗っ取りを最後に消滅する。嘉永元年(1848)には「阿保氏遺跡碑」が建てられている。大御堂の安保氏の菩提寺、阿保山吉祥院は治承4年(1180)に、安保実光が中興開山した。六代目、安保光泰の二男、安保直実は元応2年(1320)に幸春院を関口に創建している。安保直実は足利幕府、足利尊氏の側近、高師直(こうのもろなお)に従って、「足利武鑑」の足利家大名衆に安保肥前守忠真の名がある。安保文書の暦応3年(1340)、安保光阿譲状で譲渡直実分に「弥中次入道居屋敷」と有る。元朝日工業且刹ハ工場用地内のp樹原(さいかちはら)・檜下(ひのきした)遺跡で発掘調査により発見された、中世の「阿保境館跡」と八坂神社文書の「中原屋敷」との解明がのこっている。
(参考資料 神川町誌、上里町史、安保文書、足利武鑑)

安保氏館城跡

安保氏館跡(碑)

阿保山吉祥院−安保実光が中興開基

阿保山吉祥院−安保実光が中興開基

       安保氏館跡碑脇の鎌倉街道上道(旧254国道)は神流川渡場から藤岡方面に向かう。

安保館跡推定図

安保館跡推定図-上宿案内板より

        武蔵安保郷の中世歴史道

  阿保境館跡の規模は1.5町(約163m)4方を越える規模で、石積井戸や備前陶器など、出土しています。

幸春院−神川町

幸春院−神川町関口字間ノ田

阿保神社−神川町

阿保神社−神川町大字元阿保 六所1

    阿保神社は案内板由緒では風土記稿に六所明神社とあり、明治43年に阿保神社と改称した。    

児玉の四季

                                                                                                         
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