本庄市の国・県指定文化財(有形)-由緒・案内

塙保己一旧宅

塙保己一旧宅-国指定史跡

塙保己一は武蔵国児玉郡保木野に生まれ、7才にして失明し、15才で江戸に出る。雨富検校に認められ、40年の努力のもとに群書類従を編さんした。後に総検校となる。塙保己一の生家も現在の本庄市児玉町保木野の同じ場所に茅葺屋根の大きな二階建てで保存されている。昭和19年に国指定史跡となる。
(埼玉県、本庄市の案内資料より)

       

旧本庄警察署

旧本庄警察署-埼玉県指定有形建造物

旧本庄警察署は明治16年(1883)に建設されました。建物は
ヨーロッパ建築様式のコリント式で、当時の本庄宿では初めての本格的な洋風二階建て建造物です。昭和10年に本庄警察署の移転後は他の公共施設として利用され、昭和55年に建築当初に近い状態に修復し、本庄市立歴史民俗資料館として、現在も開館しています。(資料館、見学資料より)

       

競進社模範蚕室

競進社模範蚕室-埼玉県指定有形建造物

競進社模範蚕室は養蚕技術の改良に一生を捧げた木村九蔵が、明治27年(1894)に競進社児玉伝習所地内に建設した。木村九蔵は、病蚕を防ぐ「一派温暖育」という蚕の温暖飼育法を考案した。競進社養蚕学校はその後児玉農業高等学校になり、現在の県立児玉白楊高等学校に至っています。
(本庄市、見学資料より)

        

児玉八幡神社

八幡神社社殿及び青銅製鳥居-埼玉県指定有形建造物

児玉八幡神社は伝えによると、平安時代後期に源頼義・義家親子が奥州征伐から帰陣のさいに社殿建立し、京都の石清水八幡宮より勧請したことから東岩清水八幡神社となったと言われています。現在の社殿は久米家15代目、久米六右衛門の発起で享保7年(1722)に再建されていて、棟梁は妻沼の伝兵衛とある。青銅鳥居は久米清兵衛らにより享保11年(1726)に佐野の鋳物師に造らせている。(埼玉県案内板より)

        

諸井家住宅

諸井家住宅-埼玉県指定有形建造物

東諸井家の諸井泉衛が明治13年頃、横浜の洋館を手本に建てたベランダのある木造2階住宅。前に仲町郵便局もあり、局長もしていた。次男の諸井恒平も24才で本庄郵便局長となり、後にセメント王となる。



        

本庄金鑚神社のクスノキ

本庄金鑚神社のクスノキ-埼玉県指定天然記念物

江戸時代初期、寛永16年(1639)に本庄城主小笠原信嶺の孫で小笠原忠貴が金鑚神社の社殿改修時に献木したものと、伝えられています。根周り約10m、 高さ約20m、樹齢約390年で県内では最も大きく、御神木となっています。



        

城山稲荷のケヤキ

城山稲荷のケヤキ-埼玉県指定天然記念物

戦国時代、弘治2年(1556)に、本庄実忠が本庄城築城の際に献木したと伝えられています。社殿の前の大ケヤキは、目通り6.3m、樹齢約450年の御神木となっています。




        

骨波田の藤

骨波田の藤-埼玉県指定天然記念物

長泉寺の骨波田の藤は宝暦3年(1753)に植えられたと伝えられている野生のノダフジで、大小7本からなり、根周り3.5m、開花期には花房が1mから長いもので1.5mにもなるそうです。



        

雉岡城跡

雉岡城跡-埼玉県指定史跡

雉岡城跡は別名、八幡山城とも呼ばれ中世の頃、山内上杉氏の居城として築城された。1558〜1569年に北条氏により落城、1590年、豊臣軍(前田・上杉)に敗れ、小田原城と共に落城となる。その後、徳川系の松平氏1万石が治めるが1601年に廃城となる。現在は空堀、本丸、二の丸跡が城山公園として残って塙保己一記念館もあります。。

        

鷺山古墳

鷺山古墳-埼玉県指定史跡

鷺山古墳(さぎやまこふん)は大久保山と生野山のほぼ中央にある、前方後方墳です。全長60m、後方部幅37m、後方部高5.4m、前方部幅30m(県の調査)で4世紀前半頃と推定されるようです。壺型土器や椀型土器が出土しています。現在では埼玉県内最古の前方後方墳とされています。


        

宥勝寺裏埴輪窯跡

宥勝寺裏埴輪窯跡付靫型埴輪4点-埼玉県指定史跡

宥勝寺裏埴輪窯跡は古墳に立て並べるための埴輪を焼いた窯の跡です。6世紀中頃の窯で写真の大久保山丘陵(マリーゴールドの丘東)の斜面に所在しています。平成13年の市の調査では、5基の窯が良好な状態で確認されています。窯の形は丘陵斜面を利用した半地下式の登り窯で、長さ7m前後、幅1.5m程です。窯の周りからは「靫型埴輪」や人物埴輪など多種の埴輪が出土しました。(埼玉県、本庄市教育委員会解説板より)

        

岡登影能の生地

岡登影能の生地-埼玉県指定旧跡

岡登影能は江戸時代の寛永10年(1633)に武蔵国児玉郡高柳村で生まれる。承応3年(1654)幕府代官に任用される。上野国新田郡笠懸野に岡登用水を完成させ、大間々扇状地で荒野の開拓に尽くした。



        

飯倉御厨跡

飯倉御厨跡-埼玉県指定旧跡

中世1184年(寿永3年)に源頼朝が武蔵国飯倉御厨と安房国東条御厨を伊勢神宮に寄進したことが伊勢神宮の吾妻鏡に記されているそうです。現在、埼玉県本庄市児玉町の飯倉日向山に郷土の旧跡して残されています。



        

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫−国登録有形文化財

明治29年(1896)に本庄商業銀行の煉瓦倉庫が建設される。
大きさは31m×8.5m長方形の二階建煉瓦倉庫で、明治時代は蚕糸産業が盛んで高価な繭や生糸を担保として貯蔵するため、左右対称の窓の位置で、網戸と鉄扉を設け、通風・防火を取り入れた造りになっている。本庄宿の中山道沿いにあり、歴史的景観がある。

        

間瀬堰堤

間瀬堰堤

間瀬堰堤−国登録有形文化財

間瀬堰堤は大正8年(1919)〜昭和13年にかけて造られた、児玉用水の中心的な施設で堤長126m、堤高28m、取水塔付のコンクリート造重力式堰堤です。堤体内内には放水路が設けてある。取水塔・護岸堤防付で農業用水ダムの他に、四季を通して景観が良く、観光客も多い。(参考資料 文化庁より)
所在地 本庄市児玉町小平地内

        

間瀬堰堤管理橋

間瀬堰堤管理橋

間瀬堰堤管理橋−国登録有形文化財

間瀬堰堤管理橋は昭和13年(1938)に間瀬川中流部に建設された農業用ダム間瀬堰堤の導水下流部に架かる橋。鉄筋コンクリート造桁橋で橋長9.5m幅は2m。近年は周辺も整備され、観光・散策路として親しまれている。



        

児玉町旧配水塔

児玉町旧配水塔

児玉町旧配水塔−国登録有形文化財

児玉町旧配水塔は昭和6年(1931)に完成した。昭和初期に行われた児玉町水道施設工事の一環で建設された。鉄筋コンクリート造で、高さ18m。内部は揚水用ポンプ室と天井をドーム形にした筒形高架水槽を配置、入口と階段室が正面に突き出ている。現在は目的を果たし、児玉水道のシンボルで歴史に貢献している。

        

本庄仲町郵便局

本庄仲町郵便局

本庄仲町郵便局−国登録有形文化財

本庄仲町郵便局は本庄市の旧家の諸井家が開設した郵便取扱所から始まり、現在の局舎は昭和9年(1934)に建て替えた、木造2階建で外壁をタイル張りにした特異な外観の郵便局舎として広く知られている。所有者 諸井家
所在地 本庄市中央1-8-2


        

文化財一覧

                                                                                                         
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