本庄市の市指定文化財(有形)-由緒・案内

田村本陣門

田村本陣門-本庄市指定有形建造物

田村本陣は北本陣と呼ばれ、徳川幕府が参勤交代を始めた、1625年頃から本庄宿に出来たといわれています。もう一つの内田本陣(南本陣)が後から出来て、中仙道本庄宿には本陣が二軒あり、現在は、田村本陣門だけが保存されている。本庄市歴史民俗資料館には「田村本陣宿泊控帳」があり、歴史の資料となっています。(1642〜1863年の記録)
(本庄市の案内資料より)

       

本庄金鑚神社の大門

本庄金鑚神社大門-本庄市指定有形建造物

金鑚神社の大門は別当寺の金鑚山威徳院白蓮寺の総門でした。明治の神仏分離令(1868)で、廃寺となり、金鑚神社が大門だけを管理しています。この大門は文化11年(1814)の建立と伝えられていて、総ケヤキ造り、紋入瓦や彫刻も配されています。


       

本庄金鑚神社

本庄金鑚神社社殿-本庄市指定有形建造物

社伝によれば欽明天皇2年の創立。本庄城主、本庄実忠により弘治2年(1556)に勧請され、歴代の崇信が厚く、中仙道本庄宿の総鎮守となった。現在の社殿は、本殿が享保9年(1724)に再建されて、拝殿は1778年、幣殿は1850年に再建されています。彫刻や、色彩豊かな、権現造りに、なっています。

        

円心寺山門

円心寺山門-本庄市指定有形建造物

要行山先求院円心寺-浄土宗の寺院。由緒では、本庄城主の小笠原信之が実父の酒井忠次の為に、慶長8年(1603)に円心坊を建立されたという。山門は天明年間(1781〜1788)建てられている。どっしりと重みの有る、赤い木造2層の鐘楼山門です。


        

安養院本堂

安養院本堂・山門・総門-本庄市指定有形建造物

若泉山無量寺安養院-曹洞宗の寺院。室町時代中期、1475年頃、本庄氏の開基にはじまる。本堂は安永8年(1779)に焼失し、寛政2年(1779)に再建されている。山門は元禄15年(1702)に建てている。総門は享保元年(1716)の再建と言われている。


        

児玉八幡神社随身門

児玉八幡神社随身門-本庄市指定有形建造物

この随身門は地元児玉の久米六右衛門一族と崇敬者の寄進によって宝暦6年(1756)に建立されています。
八柱三間入母屋瓦葺造り。神を守るものとして、随従姿の像が左右に有る門を随身門と言うそうです。



        

成身院百体観音堂

成身院百体観音堂-本庄市指定有形建造物

百体観音堂は成身院の観音堂で本堂は仁王門を通って右側にあります。成身院の住職、元映上人が天明3年(1783)の浅間山の大噴火での多数犠牲者の万霊供養の為に、人々の協力のもとに天明8年(1788)に完成させています。その後、明治21年に火災で焼失し、現在の観音堂は明治42年に再建されたものです。観音堂の造りは外観は2層、内部は三層の回廊式になっています。別名はさざえ堂とも呼ばれています。
(拝観資料より)

        

秋山十二天社社殿

秋山十二天社社殿-本庄市指定有形建造物

十二天社の創建は平安時代の初期とも言われていますが、江戸時代に何度も火災に見舞われ、寛政11年(1799)に再建されています。屋根は昭和54年に改修され、柿葺から銅板葺になっています。



        

本庄城跡

本庄城跡-本庄市指定史跡

本庄城は戦国時代、弘治2年(1556)に児玉党の本庄実忠が築城した。その後、北条軍に服属した。天正18年(1590)に豊臣秀吉と対立し小田原城と共に落城。徳川家康の家臣、小笠原信嶺1万石が配領したが、慶長17年(1612)に小笠原信之が下総の古河へ国替となり本庄藩が廃藩となり、本庄城も廃城となった。

        

児玉八幡神社高札場

児玉八幡神社高札場-本庄市指定史跡

昔の高札場は、児玉村で連雀町と本町の間を通っていた、
川越・児玉往還の中央にありました。明治7年高札の廃止が決められた後は現在地に移転されています。江戸時代には特に利用され、諸法度を掲示して、治安を保持する為に高札を立てたようです。


        

岩谷堂

岩谷堂-本庄市指定史跡

児玉町の岩谷堂(岩谷洞)は江戸時代の浄土宗僧が念仏道場を開いた場所と言われている、洞窟と参道です。駐車場から歩いて15分程の岩谷堂への山道には石仏が両側に数多く並んでいます。今でも、春には地元で万霊供養祭が開かれます。


        

百体観音堂の鰐口

成身院百体観音堂の鰐口-本庄市指定工芸品

百体観音堂の正面の鰐口の大きさは、直径180cm、厚さ60cm、重さ750kgもあります。この大鰐口は裏側に寛政7年(1795)と刻まれていて、野州佐野の鋳物師の作と言われています。明治21年に観音堂が焼失したが、大鰐口だけは無事だったそうです。


        

大日如来座像

唐銅造大日如来座像-本庄市指定工芸品

成身院百体観音堂の左側にある仏像です。高さは二尺五寸(85cm)あります。作者は「武州金屋住倉林治兵衛国義」と台座に刻まれています。江戸時代、天明3年〜天明8年(1783〜1788)頃の作とおもわれます。金屋鋳物師が郷土に残した数少ない文化遺産です。


        

成身院の三仏

成身院の三仏-本庄市指定有形彫刻

成身院の三仏は本来は境内堂である三仏堂の本尊だったそうです。現在は百体観音堂に移されています。三仏は木造で、阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像が応永12年(1405)の作で、薬師如来坐像は寛正7年の作と由緒を記した墨書が残されています。(本庄市教育委員会案内資料より)


        

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