原善三郎-郷土の偉人・神川町

原善三郎は生糸売込商から、第二国立銀行を創設した実業家。
原善三郎は文政10年(1827)に、武州児玉郡渡瀬村で原太平衛の長男として生まれる。家業は生糸・絹布の仲買商で屋号は「亀屋」といって商売は繁盛していました。原善三郎は、横浜開港後すぐに生糸の出荷取引をしていたが、文久2年(1862)に準備を調えて、横浜の本町3丁目に店舗を構えた。生糸売込問屋の「亀屋」を開業した。屋号から、通称を「亀善」と言われ、商売が順調で、慶応元年(1865)には生糸売込商ではトップクラスまで成長した。原善三郎は、明治7年(1874)に、第二国立銀行を創設し、初代頭取となる。明治14年(1881)には、横浜商法会議所会頭となる。明治19年(1886)に、横浜蚕糸売込業の初代頭取となる。明治21年(1888)には地元の渡瀬に器械製糸工場を建設した。原製糸所は県内有数の規模となる。明治22年(1889)に、横浜市の初代市会議長となる。明治25年(1892)には埼玉県から衆議院議員に当選した。明治32年(1899)に73才で没した。原善三郎は子供が早世したため、相続は孫娘の屋寿(やす)だけで、婿となった後の原富太郎(三渓)とで継ぐこととなった。世界遺産の「旧富岡製糸場」も原三渓の原合名会社が明治35年(1902)〜昭和13年(1938)まで経営した。 
(参考資料・埼玉県、神川町、横浜開港五十年史、日本の実業家他)

原善三郎

*神川町渡瀬(埼玉)の郷里に、原善三郎の造った原邸の別荘庭園があり、天神山と呼ばれています。天神山は神流川右岸で、川まで景色と一体化する広大な起伏のある庭園です。原善三郎と原富太郎の2代にわたって造った横浜の「三渓園」とを残しています。

        

児玉の四季

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