児玉飛行場跡−(児玉工業団地・八町八反開拓農地)

児玉飛行場は現在の児玉工業団地がある周辺で、上里町・本庄市(旧児玉町)・神川町境の八町八反と地元で呼ばれた地域にありました。第二次世界大戦の戦時中、昭和17年(1942)に着工して、昭和18年10月から開設しています。工事中には児玉郡市の住民はもとより、小中学生も勤労奉仕で滑走路整備をしたそうです。熊谷陸軍飛行学校児玉教育班で始まり、九五式一型練習機(赤トンボ)が児玉飛行場に初めて着陸しました。昭和19年(1944)4月には児玉教育隊と改称されて、学徒動員の200名を三か月の操縦教育で陸軍特別攻撃隊要員として第一線に配属した。同年10月には児玉基地と改称して、第一四四飛行場大隊が配備され、各分科飛行部隊、及び、特別攻撃隊の基地、拠点となる。帝都の防衛や、敵機動艦隊に対する攻撃等にあたった。昭和20年(1945)8月の終戦で、3年有余の歴史を閉じた。児玉飛行場は、映画「日本の一番長い日」によって、全国に知られるようになりました。 (「児玉飛行場之跡」記念碑 碑文より抜粋)
児玉飛行場跡記念碑の前に昭和20年に落とされたという、児玉飛行場跡から出土した爆弾の破片があります。また、上里町の立野南公民館は児玉飛行場に有った兵舎の一部を移築して今も使用しています。立野南公民館の前には終戦後の昭和22年(1947)10月から児玉飛行場跡地に入植して、開拓農家が栽培した「西瓜」の記念碑と、「拓魂」の開拓記念碑がある。児玉工業団地の公園にある完成記念碑にも、児玉飛行場のことが由来として刻まれています。

 

児玉飛行場跡記念碑

児玉飛行場跡記念碑

立野南公民館

立野南公民館

児玉飛行場跡−(児玉工業団地外周・ポイント地点マップ)

児玉飛行場跡から出土の爆弾破片

児玉飛行場跡から出土の爆弾破片

開拓農家の歴史 「西瓜」の記念碑

開拓農家の歴史 「西瓜」の記念碑

         西瓜の直播栽培から接木栽培への普及努力で児玉郡の特産スイカとなったと碑文にあります。

開拓の入植記念碑

開拓の入植記念碑

児玉工業団地 完成記念碑

児玉工業団地 完成記念碑

         児玉飛行場跡の記念碑と開拓の記念碑など、時代の経緯や足跡が碑文には詳しく刻まれています。

児玉飛行場跡−ポイント写真

                                                                                                         
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