阿弥陀堂の板碑-武州入浅見村 おばけ堂 児玉民話

阿弥陀堂の板碑(旗本の供養塔)
武州入浅見村(埼玉県本庄市児玉町入浅見)阿弥陀堂に、慶長15年(1610年)と刻まれた大型の供養塔がある。この地は美里町小茂田方面から入浅見自治会館の三本辻を左へ進むと、奥に生野山の児玉ゴルフ場(阿知越)があり、手前、右側に阿弥陀堂(墓地)が見え、正面奥手におおきな板碑の供養塔がある。この供養塔は中世の一尊種子板碑の裏面を表側にして、旗本、佐々木氏の法名、「正貫院殿一徳淨人大居士」と見え、慶長十五年二月十五日と刻まれている。このことから、入浅見村の地頭であった、旗本、佐々木利助元次の供養塔であろう。
この供養塔のことは、「おばけ堂」の民話として残されている。
(参考資料「児玉郡・本庄市のむかしばなし」)
〇佐々木利助元次(ささきりすけもとつぐ)
宇多源氏・佐々木庶流(佐々木)。佐々木新左衛門一正の子。左衛門、元正ともいう。天正十六年、父と共に駿府にめされて東照宮に仕え、後に家を継ぐ、関ケ原から帰陣の後、信濃国のうちに采地をもらうが、江戸にあって台徳院殿(1)に奉仕する。慶長13年6月17日没す。
年49才。法名淨人。(寛政重修家譜第三輯より)
(1)台徳院は徳川秀忠2代将軍の法号
〇佐々木正次(ささきまさつぐ)
左衛門、庄左衛門。元次の遺跡を継ぎ、寛永2年(1625)12月11日武蔵国児玉郡の内において、新墾の田をあわせ480石余の御朱印を給い、のち大番となり、200石の加恩あり。正保2年(1645)12月7日没す。年59才。法名淨翁。墓所は東京赤坂、淨土寺。
※ 台徳院殿御実紀巻七(慶長13年正月~六月終)
   6月17日佐々木利助元次死して、その子、左衛門正次、家を継ぐ。とある。

入浅見の阿弥陀堂

旗本佐々木氏供養塔

 入浅見村と下浅見村はかつては阿佐美といわれ、児玉党阿佐美氏の本貫地とされている。     

            

児玉の四季

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