上里町の文化財(有形)-県・町-由緒・案内

上里町の文化財(有形)(県・町の案内より、一部抜粋しています)
指定種別  名称  所在地  管理施設等 
県指定旧跡 金窪城跡(金窪館跡)  上里町金久保1570他  上里町 
県指定有形工芸品  陽雲寺の銅鐘  上里町金久保701  陽雲寺 
町指定有形建造物  大光寺勅使門 上里町勅使河原1864  大光寺 
町指定有形歴史  見透燈籠  上里町勅使河原1864  大光寺 
町指定天然記念物  マキの木  上里町大御堂737  宝蔵寺 

金窪城跡(金窪館跡)

金窪城跡(金窪館跡)-埼玉県指定旧跡

金窪城は治承年間(1177〜1180)に加治家季が築城していて、別名が、「たや城」とも呼ばれ、武蔵国と上野国の国境で重要な位置を占めていました。天正10年(1582)に、神流川合戦で織田信長軍に攻められ落城する。その後、徳川家康の家臣で川窪信俊が城主になるが、元禄11年(1698)に丹波に国替となり、金窪城は廃城となりました。
(上里町の案内板より)

       

陽雲寺の銅鐘

陽雲寺の銅鐘-埼玉県指定有形工芸品

この銅鐘は江戸時代の元禄8年(1695)に、下野国佐野の鋳物師、井上元峰によって、鋳造されました。頂部の龍頭が上向きで朝鮮式と言われ、高さ190cm、口径98.3cmあり、縦帯に仏像4体が陽鋳されています。銅鐘の池の間部分に長文の銘があります。朝鮮式銅鐘は県内でも少ないそうです。
(上里町・陽雲寺案内板より)


       

大光寺の勅使門

大光寺勅使門-上里町指定有形建造物

大光寺の勅使門(惣門)は建保3年(1215)に武蔵七党で丹党の勅使河原権三郎有直が創建。勧請開山は日本へ初めて禅宗を伝えた栄西禅師といわれる。天正10年(1582)の神流川合戦により、本堂などは焼失し惣門のみ残る。栄西禅師直筆という扁額が残っている。
(上里町案内より)


        

大光寺の見透燈籠

見透燈籠-上里町指定有形歴史

この見透燈籠は、文化12年(1815)に本庄宿の商人、戸谷半兵衛が中仙道を往来する人々の寄付を募って、神流川を渡る旅人のために造立したそうです。この燈籠は本庄宿と新町宿の両側にあった常夜灯で、大光寺にある燈籠は明治20年代に移転された、本庄宿側の見透燈籠です。
(上里町案内より)


        

マキの木 上里町

マキの木-上里町指定天然記念物

上里町のマキの大木は大御堂の宝蔵寺の左側の道路わきにある。樹齢約800年と言われていて、目通り4.9m、樹高13.9mで、昭和37年に上里町の天然記念物として指定されています。
(上里町案内より)



        

児玉の四季

                                                                                                         
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