旧坂東大橋開通式・「まぼろしの本庄線」 

旧坂東大橋は建設当時から上毛電気鉄道本庄線と共有する鉄道道路併用橋とする計画の為、橋脚、橋桁は2段構造となり、建設には約2年の歳月を要した。

坂東大橋開通式昭和6年6月15日(1931年)

(以下、「道路の改良−地方通信」昭和6年7月、13巻7号より)

群馬県佐波郡名和村大字八斗島と埼玉県児玉郡旭村大字山王堂入会利根川に築設した坂東大橋の開通式は六月十五日同橋畔に於いて厳かに挙行された、午前十一時開式の筈なりしも内務大臣代理の自動車が対岸までは着いたが開通式前の故を以て渡橋出来ず昔ながらの悠暢たる渡船に依ったので約一時間遅れて開式したが神官亦悠暢たるもので参列者は式場係りに進行を促すが神仕へ者は献饌醜化も厭はず遅々たり焉で群馬埼玉両県知事の玉串奉奠は実に午後一時半であった、それに橋長九丁餘の往復は暑気の際高齢者には困難とあって新に小学児童数百名を以て之れに代えたので其混雑名状の外にて内務部長や県会議員が交通整理に當る状態で係員諸氏の苦慮は容易でなかった、架橋地點は従来の渡船場より二丁餘の下流とし偶々、上毛電氣鐵道會社の鐵道橋と合併架橋することとなり鐵道橋の架設中心より十呎(フィート)上流に中心を移し流心に構橋を其前後に(口繪に示す如く)鈑桁橋を配し徑間は鐵道橋に古材の鈑桁を使用する関係から限定せられ合併架橋の構橋は河川状態よりして徑間二百四呎を六連、鈑桁七十三呎を十九連、六十二呎六吋(インチ)五連、工費九十萬四千四百六十一圓職工人夫延四萬七千三百三十一人を要したのであるが本橋は群馬県伊勢崎と埼玉県本荘町とを連繋する最捷路に當るので付近一圓は大歓喜を以て迎え八木節の鐘太皷遠近に轟き本荘町の如きは山車廿餘臺を出して深更まで賑った。(※ 本荘町=本庄町)

坂東大橋之碑(記念碑)

記念碑の題額は内閣総理大臣、若槻禮次郎、碑文は群馬縣知事、堀田鼎とある。(碑文略)

「まぼろしの本庄線」上毛電気鉄道−大胡〜伊勢崎〜本庄
大正十三年(1924年)六月七日、鐵道免許状下付、官報第三五三九號
昭和九年(1934年)十一月二十四日、免許失効と起業廃止許可、(以下、官報第二三七〇號より)鐵道免許失効竝起業廢止許可大正十三年六月七日上毛電氣鐵道株式會社ニ對シ免許セル鐵道中、本庄、同起點二二粁五三一間ハ指定ノ期限マデニ工事着手セサルタメ免許ハ其効力ヲ失ヘリ尚ホ本庄起點二二粁五三一、大胡間企業廃止ノ件ハ一昨二十二日許可セリ(鐵道省) 
大胡〜本庄間の鉄道計画も坂東大橋(鉄道併用橋)の完成は見たが、世界大恐慌のあおりを受け、長引く経済不況により、「まぼろしの本庄線」となった。

旧坂東大橋(本庄側下流)

まぼろしの本庄線

(路線マップ、切符の画像は上毛電気鉄道鰍フ記念パンフレットより抜粋)

本庄線記念切符

上毛線と赤城山

2004年に新坂東大橋が開通し旧橋は解体され、橋北(伊勢崎側)にモニュメントして残されている。

旧坂東大橋モニュメント

旧坂東大橋之碑(記念碑)

昭和6年の坂東大橋之碑も利根川の土手から国道462号坂東橋北公園に移り、すぐにわかります。

       

児玉の四季

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