金窪城(かなくぼじょう)満寿姫(まんじゅひめ)

上里町 金久保

これは、埼玉県の北西のすみ、金久保に伝わる話です。 むかし、金窪城(かなくぼじょう)のお殿様に、それはそれはかわいらしいお姫様が生まれました。殿様は、満寿姫と名づけ、大そうかわいがりました。満寿姫は、大きくなるにしたがい、目もさめるような美しさになりました。殿様は、年に一度、村人たちを城に集め、若者たちに獅子舞(ししまい)()わせました。若者たちが、一年中で一番楽しみにしている日です。満寿姫も獅子舞が大好きでした。この日は(こと)をひいて村人たちにきかせます。いよいよ、(ふえ)、たいこに合わせて獅子舞がはじまります。若者たちは、一生けんめいおどりました。

満寿姫は、この世の中がいつまでも幸せであるようにと(いの)りをこめて琴をひきます。その音色の美しいこと、何とも言えません。心があらわれるようです。村人たちは、うっとりききいっていました。お城に集まった人々は、口々にお姫様に、琴の音のすばらしさや、この日が来るのが待ち遠しいと言いました。やがて、満寿姫も成人し、上州木部城(高崎市)に(とつ)ぐことになりました。木部の里は景色もよく、城は美しくかがやいています。お姫様は琴をひくたびに、金窪の獅子舞を思い出していました。金窪の殿様も木部の殿様も、たいへんなかよくしていましたが、幸せの日は長くは続きませんでした。

この時代は戦国時代といい、今までなかよくしていた人たちも(てき)となって戦うこともあるような世の中でした。金窪城の殿様と木部の殿様も戦わねばならなくなりました。お姫様は、父や兄弟と戦うのかと、なげき悲しみました。そして、おさないころから大好きだった獅子舞を、もう一度見たいと思い、少数のお(とも)の者を連れて、ひそかに城をぬけだし、金窪城をおとずれました。お姫様は、これが最期(さいご)になるかもしれないと思いながら、獅子舞をごらんになりました。戦いの日がせまって来ます。木部城に帰らなければなりません。お姫様は村人たちに「金窪のみなさん。(からだ)に気をつけて、戦いで命をおとすのではありませんぞ。」と、言いふくめて城を出ました。

お姫様とお供の人々は、榛名湖に向かいました。榛名の山々はとても美しく、(みずうみ)は光っていました。身も心も洗われるようでした。戦いが始まるなんてうそのようです。お姫様はなげきました。(つみ)のない人が命をなくし家をなくすなんて、とてもたえられない気持でした。お姫様は「神様、私の命はどうなってもかまいません。どうぞ、戦いのない世の中にしてください。」と、神様にお願いし、榛名湖に身を投げてしまいました。すると、美しくかがやいていた湖水からにわかにけむりが立ちのぼり、お姫様の姿は(りゅう)にかわってしまいました。腰元(こしもと)たちは、口々にお姫様の名を呼びながら、後を追って湖に身を投げてしまいました。

満寿姫は、神様となって榛名湖畔(こはん)に祭られているといわれ、腰元は、カニとなってお姫様を守っているといわれています。その後、金窪城は戦いにやぶれ、落城してしまいました。むかしから、烏川(からすがわ)にはたくさんカニがいましたが、金窪には「カニを食うな」という言いつたえがのこっています。

(上里町文化財誌より)

本庄児玉の民話

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