お牛様

本庄市塩谷

児玉町塩谷字寺東という地名あり、篠城第二曲輪口(しのじょうだいにくるわぐち)の林の中に白色砂岩の苔むした大石があった。左馬頭義朝(さまがしらよしとも)の四天王の一人、渋谷金王丸(こんのうまる)の墓石であるといわれている。大石は牛の形をしていることから、「お牛様」といわれるようになった。

この牛型の大石は、金王丸が乗ってきた牛が化身したものであるといわれる。この地方の人々は墓参して祈ると、耳患(みみわずら)いがすぐ治ると信じて、今も参拝する人が多い。現在は町の真鏡寺境内本堂西側に移されて(まつ)られているが、最近まで寺の入口の右側にあった。

金王丸は丹党の士族、渋谷重国の子で、保元の乱に主君、義朝が尾張国内海で殺害された折、逃れて京都にかえった。その時、主君の側室、常盤御前に会い、内海の難を伝え、京都を去って以来行方がわからなくなった。金王丸は仏門に入り、全国を巡り、最後に塩谷の西光院住職となって一生を終わったと伝えられる。

朝日新聞には約八百年前武蔵国に生まれ、十七才のとき、源義朝(みなもとよしとも)の直臣となったとある。真鏡寺は古くからあった西光院の後に建立されたもので、譜照寺の末寺である。

(県北の伝承と民俗 柳進著より)

本庄児玉の民話

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