西崎キク-郷土の偉人・上里町 

西崎キクは日本で最初の女性水上飛行機操縦士。
西崎キクは大正元年(1912)に埼玉県児玉郡七本木村の松本佐平・タキの次女として生まれる。埼玉県女子師範学校卒業後、昭和4年(1929)に神保原尋常小学校の教師となる。生徒と太田の金山へサイクリングの帰り道に、尾島飛行場でテスト飛行を見学してから、独学で勉強していました。松本キク(旧姓)は昭和6年(1931)に東京深川の第一飛行学校へ入学する。昭和8年(1933)に二等飛行機操縦士試験に合格して、日本最初の女性水上飛行機操縦士となる。この年に、安藤飛行機研究所(愛知県)から郷土訪問飛行で、児玉郡旭村の利根川に着水し、成功した。昭和9年(1934)に亜細亜航空学校に入り、陸上機操縦士免許を取得した。松本キクは、この年の10月に陸上機「白菊号」で、満洲国建国親善飛行で操縦し、14日間で2440kの飛行で、馬淵テフ子と共に日本人女性飛行士で初の海外渡航となる。昭和10年(1935)に、松本キクは、パリの国際航空連盟から、ハーモン・トロフィー賞を贈られる。昭和12年(1937)に樺太訪問飛行をするが、津軽海峡で不時着、救助される。輸送飛行士を目指し従軍志願するが却下され、飛行士の道が断たれた。昭和13年(1938)に結婚して、満洲開拓団で渡満する。 
(参考資料・埼玉県史、上里町史、満洲国現勢他)

西崎キクと白菊号

*昭和13年にキクは結婚後、満洲国北安省通北県の埼玉村開拓団に入植した。昭和16年に夫が病死する。昭和18年に開拓団の指導員、西崎了と再婚する。苦難のなか、終戦をむかえ、昭和21年に埼玉に帰国した。鴻巣に居たが、昭和23年に七本木開拓団に入植し、七本木中学校の教師となる。西崎キクの夫も戻り、昭和29年には教師も辞めて、農業に専念した。昭和50年(1975)に、自伝の「紅翼と拓魂の記」を刊行した。昭和51年に日本婦人航空協会での東京〜仙台間を飛行する。昭和54年(1979)に66才の生涯を閉じる。

        

児玉の四季

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