石川三四郎-郷土の偉人・本庄市 

石川三四郎は本庄市出身の社会思想家、アナキスト、作家。
石川三四郎は明治9年(1876)に埼玉県児玉郡山王堂村(本庄市)の五十嵐家の三男として生まれる。幼い頃、村内の石川半三郎の養子となる。明治23年(1890)、14才で上京して、哲学館(東洋大)に入学するが、世話になっていた栃木の福田友作(自民党員)が窮乏に陥った為、帰郷する。石川三四郎は、明治30年(1899)に再上京して、東京法学院(中央大)へ21才で入学する。明治34年(1901)に卒業する。卒業後、キリスト教の洗礼を受けている。明治36年(1903)に幸徳秋水が平民社を開くと入社し、「平民新聞」に多くの論説を発表する。明治39年に、石川三四郎が足尾鉱毒事件で谷中村を訪問したことから、田中正造との関係が始まる。大正2年(1913)に37才の時、第一次世界大戦前にヨーロッパに渡る。大正9年(1920)に終戦後に帰国する。昭和2年(1927)には世田谷区(千歳村)で農業を始める。農業をしながら、作品を出していた。昭和8年(1933)には「近世土民哲学」を出している。昭和14年〜昭和17年(1942)には、東洋文化史-百講の上、下巻を出している。昭和21年(1946)には、「社会美学としての無政府主義」など、数多くの著書がある。昭和31年(1956)没、80才。
 (参考資料・埼玉県、本庄市、他)

石川三四郎

本庄市出身の郷土の偉人、石川三四郎は
社会運動に生涯を尽くした功績を記念して
建てた記念碑が若泉公園にあります。
本庄市立図書館の本館2Fには石川三四郎記念室が設けられています。



        

児玉の四季

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